「空気」と「世間」:鴻上尚史 [2010年読書記録]
「空気を読め」と言われたことのある人は少なくないと思います。
Nellsonは幸いにも面と向かって言われたことはありませんが、自分の言動がその場の空気から外れていないか、いつもとっても不安な気持ちです。そんなに読まなきゃいけない空気って一体なんなのか?
本書は「空気」と「世間」の正体が何かを突き止め、「空気」と「世間」に振り回されない方法を探ることをテーマにした本です。著者は劇作家で演出家の鴻上尚史さんです。
欧米では個人を精神的に支える概念が「神」であるのに対し、欧米ほどは絶対的な存在としての「神」をもたない日本で個人を支えたのが「世間」すなわち「共同体」のルールであると著者は位置づけ、「空気」は「世間」が流動化したものすなわち「共同体の匂いがするもの」として位置づけています。
その根底にあるのは、共同体のルールに一致しているすなわち「みんなと一緒」を確認する事で個人を支えようとする心です。逆に、共同体のルールから外れること、「みんなと一緒」じゃないことでつまはじきにされる恐怖感とも言えます。
でもこれからは「みんな一緒」の時代から「ひとりひとり」の時代。
「世間」や「空気」に怯えず、多様性を受け入れながら、自分を支えてい「ほんの少し強い個人』になることが求められます。
その方法論として、著者は「世間」をすて「複数の『共同体』に緩やかに所属すること」を求めています。そして「(日本人は)自分で支えるものを自分で選ぶことができるという幸福な体験をする、初めての人類になる」それは「なんとハードで楽しく、価値のある旅だろうと思うのです」と語り本書を締めくくっています。
この文を読んだとき体中に震えが走り、何とも言えない感動につつまれました。「ひとりひとり」の時代を生きていく勇気ある人々に、ぜひ読んでいただきたい本です。
Nellson's MEMO
世間のルール
①:贈与・互酬の関係
②:長幼の序
③:時間意識
④:差別的で排他的
⑤:神秘性
世間を感じるために他者を攻撃する
自分を支えて欲しいと意識的に作り上げられた「世間」では、自分がその「世間」に属していると確認しなければなりません。・・・そんな転倒した「世間」に所属していることを証明する一番確実な方法は、その「世間」を否定するようなことを言っている人を攻撃することです。
共同体の匂いに支えられるという選択
「共同体の匂い」という「空気」に敏感になるということは、常に多数派を意識することになるということです。自分の意見に従うのではなく、常に多数派の意見を気にして、多数派の決断に従うようになります。
ほんの少しつよい「個人」になる
「共同体」と「共同体の匂い」に怯えず、ほんの少し強い「個人」になることは、楽に生きる手助けになるだろうと僕は思っています。
「前向きの不安」と「本物の孤独」を手に入れれば「個人」であることはずいぶん快適になります。
あなたは何で自分を支えますか?具体的に言えばどんな「共同体」を支えとして選びますか?・・・喜びや快適さと、苦労と苦しさの両方があるだろうということです。喜びと快適さしかない解決方法はないのです。
「社会」に向かって書くと言うこと
「世間」に向かって書くとは、自分の思ったことを思ったように書くだけの事です。・・・「社会」に向かって書くとは、自分がなぜそう思ったかを、一定の情報を相手に与えながら、必要な情報を交えて、自分の気持ちを書くと言うことです。・・・自分と違う世界に住んでいる人にも事情を理解してもらえるように書く、ということなのです。
崩壊した「世間」では
何が「迷惑」なのか分かっているのは「世間」です。けれど・・・自分の活動や欲望が、相手の「迷惑」になるかどうかは、実際にぶつかってみないと分からないのです。
私たちをささえるもの
私たちは、自分を支えるものの脆弱さを知りながら、自分を支えようとするのです。そこで、人間は成熟するのです。
(日本人は)自分で支えるものを自分で選ぶことができるという幸福な体験をする、初めての人類になる。それは「なんとハードで楽しく、価値のある旅だろうと思うのです。
2010-07-10 23:11
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