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自分がなりたい「何か」
「何か」になる代わりに、「その何か」が表現しているような特質を、別の形で人生で体験できるかもしれないとしたら?
なぜ「その何か」になりたいと思ったのか?「その何か」になることで、何を感じたいと思っているのか考えてみる。
そこには色々な要素がある。
そして「その何か」を通じて感じたいと思ったことを、「別の何か」でできないか考えてみる。
そうすることで選択の可能性が広がる。
なぜ「その何か」になりたいと思ったのか?「その何か」になることで、何を感じたいと思っているのか考えてみる。
そこには色々な要素がある。
そして「その何か」を通じて感じたいと思ったことを、「別の何か」でできないか考えてみる。
そうすることで選択の可能性が広がる。
思うに希望とは…
思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅 (中国の小説家、翻訳家、思想家:1881 - 1936)
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅 (中国の小説家、翻訳家、思想家:1881 - 1936)
自分の「好き」に正直になる
自分の「好き」に正直になる。
大人になるにつれ、私たちは、自分の大好きなことが何か分らなくなる。
言われたことを従順にこなすことを、小さいころから求められ続けると、大人になるころにはロボットのようになってしまう。
自分の好きなことは何か意識してみる。
好きなこと、楽しいことを少しずつ始めてみる。
毎日が楽しくなったり、自分の新しい側面が見えてきたり、やりたいことが見えてくようになる。
大人になるにつれ、私たちは、自分の大好きなことが何か分らなくなる。
言われたことを従順にこなすことを、小さいころから求められ続けると、大人になるころにはロボットのようになってしまう。
自分の好きなことは何か意識してみる。
好きなこと、楽しいことを少しずつ始めてみる。
毎日が楽しくなったり、自分の新しい側面が見えてきたり、やりたいことが見えてくようになる。
ダライ・ラマとの対話:上田紀行 [2011年読書記録]
先日の『生きる意味』に続いて文化人類学者の上田紀行さんの著作です。
本書は、ダライ・ラマの亡命先であるインドのダラムサラにおいて行われた、上田紀行さんとダライ・ラマとの対話を記録したものです。
上田氏の様々な問いに対して、ダライ・ラマは宗教的な観点ではなく、より良く生きるための「こころの科学」としての仏教という観点から応えていきます。
上田氏の様々な質問に対して、いくつかの観点に分けて応え、結論を導き出していくダライ・ラマの話の進め方は極めて論理的で、とてもわかりやすいと感じました。
どうすれば利他的な社会をつくることができるのか?
物質的な価値判断が幅をきかせている世の中にあって、ダライ・ラマの言う「愛と思いやり」に満ちた社会をどの様に作りあげていくのか?
そのために自分ができることは何なのか?
仏教についての知識はほぼないといって過言ではない私ですが、「菩薩を目指す」という大乗仏教を学んでみたいと素直に思える1冊でした。
何度も読み返したい本。超オススメ。
Nellson's MEMO
自分というのは一人の人間として完全に独立していると思い込んでいる。しかし、これこそが全くの誤った認識なのです。
人間は愛と思いやりを必要とする:
精神的な面における私たち人間の抱えている苦しみや問題は、自分の得ている苦しみを誰かと一緒にシェアしてもらい、慰めてもらい、愛情をかけてもらうことによって初めて解決のできる問題なのです。
すべてのものには原因があり、それによって結果が生じているという、極めて論理的な認識から仏教は出発しているのです。
原因の段階における心のあり方が問題です。原因の段階というのは、つまり、行為を起こすときの心の動機という意味です。
最初に私たちはすべての教えに対して懐疑的な態度をとらなければいけない。
捨てるべき執着とは偏見に基づいている欲望のことです。
菩提心なき知識の修得:
その知識をなぜ得るかという動機の面/単なる知識のみを得ている状況で実践の部分が全く欠落しているといった、非常に極端な状況に陥っている/知識と実践を結び合わせていく事が非常に重要なことです。
「空」と「無明」:
「空」とは、ただの空っぽのような状態を意味するのではなくて、全てのものは因(原因)と縁(条件)によってこの世界に生じている/すべてのものたちが得ている苦しみの根本には「無明(すべてのものが「空」であること〔=相互依存していること〕を理解していないこと)」の心が存在していることです/「空」の見解を強く確信すればするほど「無明」の心はその力を失っていく。
社会全体が、物質的なものに惑わされてほんとうに何が価値あるものなのかを見失っているのです。/ 人生において最も大切なのものは、人間の深いレベルある人間的な価値(愛や思いやり)なのですが、そのことが認識されなくなっています。
ほんとうの意味の思いやりは、まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。/自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、他者を思いやることなど不可能なことだからです。
表丹沢(みくるべ〜表丹沢県民の森〜大倉) [Life]
連休の数少ない晴れの日を使って自然に触れようということで、表丹沢を少し歩いてきました。
神奈川県秦野市の観光協会にも紹介されているルートです。
秦野市観光協会− 表丹沢県民の森・県立秦野戸川公園コース
神奈川県秦野市の観光協会にも紹介されているルートです。
秦野市観光協会− 表丹沢県民の森・県立秦野戸川公園コース
希望のつくり方:玄田有史 [2011年読書記録]
本書は、東京大学で『希望学(正式名称は「希望の社会科学」)』という研究を行っている著者の研究をわかりやすくまとめた本です。
現代は、かつてのように希望が前提のように与えられていた時代ではなくなり、何のために、何を行えば良いのか分からなくなってしまった時代、といえます。そんな時代にあって、多くの人が希望がないと考えるようになったのはどうしてか?。そして希望をもてるようにするにはどうすればいいか?。といった問いにたいする著者の現時点の答えが記されています。
著者の一番うったえたかったこと、それは「希望は与えられるものではなく、自分(自分たち)でつくりだすもの」ということです。そして希望を作り出すためのヒントを提示しています。
希望というものはとてもデリケートなものです。
どんなに強い希望を持って生きていても、さまざまな出来事がいとも簡単に希望を打ち砕き、私たちを挫折へと導いていきます。希望そのものを持つこと自体、煩わしいという人もいるかも知れません。それでも希望を持ち続けることのできる人生は素晴らしいと思います。
希望を「つくる」こと。
そのために「対話」が果たす役割はとても大きいように感じます。
Nellson's MEMO
Hope is a Wish for Something to Come True by Action.
希望とは行動によって何かを実現しようとする気持ち。
希望は「気持ち」「何か」「実現」「行動」の4本柱から成り立っている。希望が見つからないとき、4本柱のうち、どれが欠けているのか探す。
いつも会うわけではないけれど、緩やかな信頼でつながった仲間(ウィーク・タイズ)が、自分の知らなかったヒントをもたらす。
失望したあとに、つらかった経験を踏まえて、次の新しい希望へと、柔軟に修正させていく。
過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる。
無駄に対して否定的になりすぎると、希望との思いがけない出会いもなくなっていく。
わからないもの、どっちつかずのものを、理解不能として安易に切り捨てたりしない。
大きな壁にぶつかったら、壁の前でちゃんとウロウロする。
「苦しいときも○○していたら大丈夫」といえるもの。
神話の力:ジョーゼフ・キャンベル [2011年読書記録]
ジャーナリストのビル・モイヤーズと神話学者のジョーゼフ・キャンベルによる、神話についての対談です。モイヤーズはインタビュアーとしてキャンベルの聞き役に徹し、キャンベルは語り手に徹しています。
神話の力が生活から失われた現代、すなわち人間の精神性を支えるものが生活から失われた現代において、今求められている神話がどういうものか、その中で生きる私たちはどのように生きるべきかを、世界の様々な宗教や神話で語られる物語とそれらに共通して潜む意味をもとに、キャンベルが語っていきます。
精神世界や見えない世界のことをどの様に表現するか?究極の真理は言葉では表現できないところにあり、神話はイメージの力を借りて見えない世界を表現しています。そしてその見えない世界こそが人間を支えている。
約20年前の本ですが、語られている内容は普遍的なものがあり、この時代にこそ多くの人に読んでもらいたい本だと思います。
Nellson's MEMO
今を生きているという経験
人間が本当に求めているのは『いま生きているという経験』だと思います。
私たちは外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。「今生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
二元性と一体性
あらゆる神話の基本的なテーマは、見える次元を支えている見えざる次元が存在していることです。
神話は二元的世界のかなたに一元的世界があり、二元性はその上で演じているシャドーゲームに過ぎないということを暗示しています。
時間という場は、超時間的な基盤の上で演じられる一種の影絵芝居です。そして、私たちは影の場で芝居を演じる。両極性のうちの自分の側を懸命に演じるのです。けれども私たちは、例えば自分の敵といっても、自分自身として見えるものの裏側に過ぎないことを知るのです。
私と他者とは一体である。私と他者とは一つの生命の二つの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎないという認識です。人間の真の実在は、あらゆる生命との一体性と調和の中にあります。
自我において死ぬこと
心理的未成熟の状態を抜けて、自己の責任と自信とに支えられた勇気を持つために、いったん死んでよみがえることが必要です。これが普遍的な英雄の旅の基本的なモチーフです。1つの状態を去り、より成熟した状態に達するために生命の源泉を見つける、というのが。
より良い状態を期待して、そのときのあなたの心理的状態から脱出することです。何か別の生命にいたることを願って現在の生命を捨てるのです。心の中で死んで、より大きな生き方ができるよう生まれ変わればいいのです。
自我をなくし、自分より高い目的のために、他者のために自分を捧げたならば、自我や自己保存を第一に考える事をやめたときに、私たちは、真に英雄的な意識変革を遂げるのです。
至福の追求
自分の至福を追求しなさいということです。自分にとって無上の喜びを見つけ、恐れずにそれについて行くことです。
自分の無上の喜びに従ってどんな人生を選ぶとしても、そこには誰から脅されようがこの道から絶対に外れないという覚悟が必要です。この覚悟さえあれば、人生と行動は正当化されます。
システムがあなたをロボット扱いしようとするのを拒否することですね。
これ(聖なる場所を持つということ)は今日すべての人にとって必要不可欠なことです。(略)本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことの出来る場所や時間です。もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こるでしょう。
限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを後にしなければ、創造性を発揮することはできません。
神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。
苦しみと思いやり
神話は、私たちに苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるかを語ります。
思いやりは、動物的な我欲から人間性への心の目覚めです。思いやり(Compassion)とは、元来ともに苦しむとおうことなのです。
人生における偶然と必然
自分の人生はかつて自分のしたことの報いである。自分以外に責めるひとはいないのです。
偶然を受け入れることができるか否かの問題です。最終的に人生は偶然でなりたっている。最良のアドバイスは、その全てをあたかも自分の意思であるかのように思う事です。
欲望や、恐怖や、社会的しがらみに駆り立てられないあなたが、自分の中心をみつけ、そこでの選択に従って行動できるあなたが見いだすであろう心の状態
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原発廃止に賛成しています。
オンライン署名「枝野さん、安全な電気がほしいです」
http://www.greenpeace.org/japan/ja/form/edano3/
浜岡原発反対署名フォーム
http://www.plumfield9905.jp/hamaoka/form/form.php
上関原発反対!あなたの声を届けよう!
http://www.antinuke.net/kaminoseki/
また、原子力委員会が意見を募集しています。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_oubo.htm
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「認められたい」の正体 承認不安の時代:山竹伸二 [2011年読書記録]
「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
- 作者: 山竹 伸二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/03/18
- メディア: 新書
自分の考えに自信がなく、誰かに認められないと不安でしょうがない。
わかります。自分自身もそういうところが多分にあるから。本書はそんな方に読んでいただきたい1冊です。
自分の行動や判断のよりどころを、自分の考えや信念ではなく、周囲や他人の判断にゆだねてしまう。このため、他者の反応や承認に必要以上に気を使ってしまい、自由に振るまえないでいる。仲間の承認を得るために、ありのままの自分を抑えて、仲間の言動に同調した態度をとり続けてしまう。このような行動を著者の山竹さんは「空虚な承認ゲーム』と名付けています。
現代は『空虚な承認ゲーム』に陥る人々が増えていると山竹さんは指摘し、そのような現象が起こっている社会的背景と個人が承認の不安に陥っていくメカニズムを解説し、承認の不安を乗り越えて、ありのままの自分を表現して生きていくための考え方について、現象学の観点から解説しています。
Nellsonが学んでいる認知行動療法の世界では、人間の行動はその人の行動の憲法ともいえる核心念という考えに縛られています。核心念の形成は子供にとって最初の他者である両親との関係性に大きく影響を受けるので、山竹さんの承認不安の形成メカニズムの解説は非常によく理解できました。
山竹さんによると、承認不安は、他者との関係性の中から起こる不安であり、それは両親との関係性にさかのぼると指摘。そして、承認不安が形成されるメカニズムを非常に丁寧に分かりやすく解説しています。
現象学とは、人間の意識の中に「認識」が確立されていく過程を分析する学問です。絶対的な価値観というものは不安定なもので、単に多くの人が共有する価値観にすぎないと考え、その価値観がどの様に形成されたかを考える学問です。
人間同士のコミュニケーションで認識や意見の違いが生じた場合、それぞれの判断のもとになった背景を一緒に共有し振り返えることで、人間に生じやすい思い込みを修正することが可能になり、両者の認識の一致する方向へと志向していくと考えます。
承認不安に陥らないためには「一般他者の視点」から内省すること、つまり、身近な他者だけの反応に左右されず、他の考えをもった人の意見・考えに耳を傾けて、自分の行動を選択することが重要と山竹さんは述べています。
このことは、他人の考えであれ自分の考えであれ、1つの考えに縛られずに自分の行動を選択していくことにつながると思います。そのことが、他人をオープンに受けいれつつ自分も受け入れる、というバランスのよさを生んでいけると思います。
人間関係で悩む人に読んでほしい1冊です。
Nellson's MEMO
空虚な承認ゲーム
自分の考えや感情を過度に抑制し、本当の自分を偽って家族や仲間に同調し、無理やりに承認を維持しようとする。それはただちに「空虚な承認ゲーム」となり、必ず事故不全感がつきまとう。
自分とは無関係に思える人々を蔑むことで、自らの存在価値の底上げを図ろうとする行為。
空虚な承認ゲームが蔓延するのは、社会共通の価値観を基盤とした、「社会の承認」が不確実となり、コミュニケーションを介した「身近な人間の承認」の重要性がましているから。
親和的他者/集団的他者/一般的他者
承認の欲望=自己価値の欲望=生きる意味の追求
私が他者から欲望されること、それは私が欲望されるだけの価値があること、私の存在価値が承認されること
強い承認不安と自己価値の喪失感
自らの自由を犠牲にしてでも社会秩序に従うのは、社会からの承認が自分の存在価値を証明してくれると、心のどこかで信じているからだ。
自由と承認の葛藤
自由が拡大する一方で承認の可能性が低くなり、じわじわ承認不安が満ちてくる。
自己了解と一般他者の視点
自己決定による納得は自由の最も重要な本質
他者への同調・他者による拘束からの解放以前に、自分でどうしたいのか考え、納得し、答えを導きだすことにほかならない。
感情を素直にうけれること。
感情は自己了解(自己への気づき)を導く最良の方法
承認不安によって作られた自己ルールは、それを捨てても他者に見捨てられないという確信がなければ変えることはできない。
自分1人では自己了解が難しい場合、ありのままの自分を受け入れてくれる存在に自己の分析を手伝ってもらえば、自己了解はより一層生じやすくなる
一般他者の視点
この視点によって自らの道徳的価値を認識できたなら、私たちは承認不安や不遇感に耐え、自己価値を信じる事ができる
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原発廃止に賛成しています。
オンライン署名「枝野さん、安全な電気がほしいです」
http://www.greenpeace.org/japan/ja/form/edano3/
浜岡原発反対署名フォーム
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上関原発反対!あなたの声を届けよう!
http://www.antinuke.net/kaminoseki/
また、原子力委員会が意見を募集しています。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/tyoki_oubo.htm
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シンプルを極める:ドミニック・ローホー [2011年読書記録]
ベストセラーになった
『シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』の著者によるエッセイ集。「シンプル」な生き方への様々な考え方が書かれています。
生活をシンプルにする具体的な方法は『シンプルに生きる』のほうに詳しくのっていますので、そちらを読まれたほうがいいと思います。
生活をシンプルにするということは、禁欲的な生活をすることではありません。自分に必要なもの、必要でないものを選択し、必要でないモノや週刊を手放すということです。
それはとりもなおさず、自分を知ることにつながります。
自分は何が好きなのか、好きではないのか。どんな時心地良いのか、不快なのか。どんな時安らぐのか、不安になるのか。自分を見つめなおして、自分を深く知ることの地道な作業です。
自ら選んでいく生き方。
そこに自由があります。
タグ:simple life 読書記録
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