ダライ・ラマとの対話:上田紀行 [2011年読書記録]
先日の『生きる意味』に続いて文化人類学者の上田紀行さんの著作です。
本書は、ダライ・ラマの亡命先であるインドのダラムサラにおいて行われた、上田紀行さんとダライ・ラマとの対話を記録したものです。
上田氏の様々な問いに対して、ダライ・ラマは宗教的な観点ではなく、より良く生きるための「こころの科学」としての仏教という観点から応えていきます。
上田氏の様々な質問に対して、いくつかの観点に分けて応え、結論を導き出していくダライ・ラマの話の進め方は極めて論理的で、とてもわかりやすいと感じました。
どうすれば利他的な社会をつくることができるのか?
物質的な価値判断が幅をきかせている世の中にあって、ダライ・ラマの言う「愛と思いやり」に満ちた社会をどの様に作りあげていくのか?
そのために自分ができることは何なのか?
仏教についての知識はほぼないといって過言ではない私ですが、「菩薩を目指す」という大乗仏教を学んでみたいと素直に思える1冊でした。
何度も読み返したい本。超オススメ。
Nellson's MEMO
自分というのは一人の人間として完全に独立していると思い込んでいる。しかし、これこそが全くの誤った認識なのです。
人間は愛と思いやりを必要とする:
精神的な面における私たち人間の抱えている苦しみや問題は、自分の得ている苦しみを誰かと一緒にシェアしてもらい、慰めてもらい、愛情をかけてもらうことによって初めて解決のできる問題なのです。
すべてのものには原因があり、それによって結果が生じているという、極めて論理的な認識から仏教は出発しているのです。
原因の段階における心のあり方が問題です。原因の段階というのは、つまり、行為を起こすときの心の動機という意味です。
最初に私たちはすべての教えに対して懐疑的な態度をとらなければいけない。
捨てるべき執着とは偏見に基づいている欲望のことです。
菩提心なき知識の修得:
その知識をなぜ得るかという動機の面/単なる知識のみを得ている状況で実践の部分が全く欠落しているといった、非常に極端な状況に陥っている/知識と実践を結び合わせていく事が非常に重要なことです。
「空」と「無明」:
「空」とは、ただの空っぽのような状態を意味するのではなくて、全てのものは因(原因)と縁(条件)によってこの世界に生じている/すべてのものたちが得ている苦しみの根本には「無明(すべてのものが「空」であること〔=相互依存していること〕を理解していないこと)」の心が存在していることです/「空」の見解を強く確信すればするほど「無明」の心はその力を失っていく。
社会全体が、物質的なものに惑わされてほんとうに何が価値あるものなのかを見失っているのです。/ 人生において最も大切なのものは、人間の深いレベルある人間的な価値(愛や思いやり)なのですが、そのことが認識されなくなっています。
ほんとうの意味の思いやりは、まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。/自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、他者を思いやることなど不可能なことだからです。
2011-05-08 23:04
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