ダライ・ラマとの対話:上田紀行 [2011年読書記録]
先日の『生きる意味』に続いて文化人類学者の上田紀行さんの著作です。
本書は、ダライ・ラマの亡命先であるインドのダラムサラにおいて行われた、上田紀行さんとダライ・ラマとの対話を記録したものです。
上田氏の様々な問いに対して、ダライ・ラマは宗教的な観点ではなく、より良く生きるための「こころの科学」としての仏教という観点から応えていきます。
上田氏の様々な質問に対して、いくつかの観点に分けて応え、結論を導き出していくダライ・ラマの話の進め方は極めて論理的で、とてもわかりやすいと感じました。
どうすれば利他的な社会をつくることができるのか?
物質的な価値判断が幅をきかせている世の中にあって、ダライ・ラマの言う「愛と思いやり」に満ちた社会をどの様に作りあげていくのか?
そのために自分ができることは何なのか?
仏教についての知識はほぼないといって過言ではない私ですが、「菩薩を目指す」という大乗仏教を学んでみたいと素直に思える1冊でした。
何度も読み返したい本。超オススメ。
Nellson's MEMO
自分というのは一人の人間として完全に独立していると思い込んでいる。しかし、これこそが全くの誤った認識なのです。
人間は愛と思いやりを必要とする:
精神的な面における私たち人間の抱えている苦しみや問題は、自分の得ている苦しみを誰かと一緒にシェアしてもらい、慰めてもらい、愛情をかけてもらうことによって初めて解決のできる問題なのです。
すべてのものには原因があり、それによって結果が生じているという、極めて論理的な認識から仏教は出発しているのです。
原因の段階における心のあり方が問題です。原因の段階というのは、つまり、行為を起こすときの心の動機という意味です。
最初に私たちはすべての教えに対して懐疑的な態度をとらなければいけない。
捨てるべき執着とは偏見に基づいている欲望のことです。
菩提心なき知識の修得:
その知識をなぜ得るかという動機の面/単なる知識のみを得ている状況で実践の部分が全く欠落しているといった、非常に極端な状況に陥っている/知識と実践を結び合わせていく事が非常に重要なことです。
「空」と「無明」:
「空」とは、ただの空っぽのような状態を意味するのではなくて、全てのものは因(原因)と縁(条件)によってこの世界に生じている/すべてのものたちが得ている苦しみの根本には「無明(すべてのものが「空」であること〔=相互依存していること〕を理解していないこと)」の心が存在していることです/「空」の見解を強く確信すればするほど「無明」の心はその力を失っていく。
社会全体が、物質的なものに惑わされてほんとうに何が価値あるものなのかを見失っているのです。/ 人生において最も大切なのものは、人間の深いレベルある人間的な価値(愛や思いやり)なのですが、そのことが認識されなくなっています。
ほんとうの意味の思いやりは、まず自分自身に対して向けられるべきものだと思います。/自分自身を忌み嫌い、嫌悪しているような人は、他者を思いやることなど不可能なことだからです。
希望のつくり方:玄田有史 [2011年読書記録]
本書は、東京大学で『希望学(正式名称は「希望の社会科学」)』という研究を行っている著者の研究をわかりやすくまとめた本です。
現代は、かつてのように希望が前提のように与えられていた時代ではなくなり、何のために、何を行えば良いのか分からなくなってしまった時代、といえます。そんな時代にあって、多くの人が希望がないと考えるようになったのはどうしてか?。そして希望をもてるようにするにはどうすればいいか?。といった問いにたいする著者の現時点の答えが記されています。
著者の一番うったえたかったこと、それは「希望は与えられるものではなく、自分(自分たち)でつくりだすもの」ということです。そして希望を作り出すためのヒントを提示しています。
希望というものはとてもデリケートなものです。
どんなに強い希望を持って生きていても、さまざまな出来事がいとも簡単に希望を打ち砕き、私たちを挫折へと導いていきます。希望そのものを持つこと自体、煩わしいという人もいるかも知れません。それでも希望を持ち続けることのできる人生は素晴らしいと思います。
希望を「つくる」こと。
そのために「対話」が果たす役割はとても大きいように感じます。
Nellson's MEMO
Hope is a Wish for Something to Come True by Action.
希望とは行動によって何かを実現しようとする気持ち。
希望は「気持ち」「何か」「実現」「行動」の4本柱から成り立っている。希望が見つからないとき、4本柱のうち、どれが欠けているのか探す。
いつも会うわけではないけれど、緩やかな信頼でつながった仲間(ウィーク・タイズ)が、自分の知らなかったヒントをもたらす。
失望したあとに、つらかった経験を踏まえて、次の新しい希望へと、柔軟に修正させていく。
過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる。
無駄に対して否定的になりすぎると、希望との思いがけない出会いもなくなっていく。
わからないもの、どっちつかずのものを、理解不能として安易に切り捨てたりしない。
大きな壁にぶつかったら、壁の前でちゃんとウロウロする。
「苦しいときも○○していたら大丈夫」といえるもの。
神話の力:ジョーゼフ・キャンベル [2011年読書記録]
ジャーナリストのビル・モイヤーズと神話学者のジョーゼフ・キャンベルによる、神話についての対談です。モイヤーズはインタビュアーとしてキャンベルの聞き役に徹し、キャンベルは語り手に徹しています。
神話の力が生活から失われた現代、すなわち人間の精神性を支えるものが生活から失われた現代において、今求められている神話がどういうものか、その中で生きる私たちはどのように生きるべきかを、世界の様々な宗教や神話で語られる物語とそれらに共通して潜む意味をもとに、キャンベルが語っていきます。
精神世界や見えない世界のことをどの様に表現するか?究極の真理は言葉では表現できないところにあり、神話はイメージの力を借りて見えない世界を表現しています。そしてその見えない世界こそが人間を支えている。
約20年前の本ですが、語られている内容は普遍的なものがあり、この時代にこそ多くの人に読んでもらいたい本だと思います。
Nellson's MEMO
今を生きているという経験
人間が本当に求めているのは『いま生きているという経験』だと思います。
私たちは外にある目的を達成するためにあれこれやることに慣れすぎているものだから、内面的な価値を忘れているのです。「今生きている」という実感と結びついた無上の喜びを忘れている。それこそ人生で最も大切なものなのに。
二元性と一体性
あらゆる神話の基本的なテーマは、見える次元を支えている見えざる次元が存在していることです。
神話は二元的世界のかなたに一元的世界があり、二元性はその上で演じているシャドーゲームに過ぎないということを暗示しています。
時間という場は、超時間的な基盤の上で演じられる一種の影絵芝居です。そして、私たちは影の場で芝居を演じる。両極性のうちの自分の側を懸命に演じるのです。けれども私たちは、例えば自分の敵といっても、自分自身として見えるものの裏側に過ぎないことを知るのです。
私と他者とは一体である。私と他者とは一つの生命の二つの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎないという認識です。人間の真の実在は、あらゆる生命との一体性と調和の中にあります。
自我において死ぬこと
心理的未成熟の状態を抜けて、自己の責任と自信とに支えられた勇気を持つために、いったん死んでよみがえることが必要です。これが普遍的な英雄の旅の基本的なモチーフです。1つの状態を去り、より成熟した状態に達するために生命の源泉を見つける、というのが。
より良い状態を期待して、そのときのあなたの心理的状態から脱出することです。何か別の生命にいたることを願って現在の生命を捨てるのです。心の中で死んで、より大きな生き方ができるよう生まれ変わればいいのです。
自我をなくし、自分より高い目的のために、他者のために自分を捧げたならば、自我や自己保存を第一に考える事をやめたときに、私たちは、真に英雄的な意識変革を遂げるのです。
至福の追求
自分の至福を追求しなさいということです。自分にとって無上の喜びを見つけ、恐れずにそれについて行くことです。
自分の無上の喜びに従ってどんな人生を選ぶとしても、そこには誰から脅されようがこの道から絶対に外れないという覚悟が必要です。この覚悟さえあれば、人生と行動は正当化されます。
システムがあなたをロボット扱いしようとするのを拒否することですね。
これ(聖なる場所を持つということ)は今日すべての人にとって必要不可欠なことです。(略)本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことの出来る場所や時間です。もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こるでしょう。
限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを後にしなければ、創造性を発揮することはできません。
神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。
苦しみと思いやり
神話は、私たちに苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるかを語ります。
思いやりは、動物的な我欲から人間性への心の目覚めです。思いやり(Compassion)とは、元来ともに苦しむとおうことなのです。
人生における偶然と必然
自分の人生はかつて自分のしたことの報いである。自分以外に責めるひとはいないのです。
偶然を受け入れることができるか否かの問題です。最終的に人生は偶然でなりたっている。最良のアドバイスは、その全てをあたかも自分の意思であるかのように思う事です。
欲望や、恐怖や、社会的しがらみに駆り立てられないあなたが、自分の中心をみつけ、そこでの選択に従って行動できるあなたが見いだすであろう心の状態
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「認められたい」の正体 承認不安の時代:山竹伸二 [2011年読書記録]
「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
- 作者: 山竹 伸二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/03/18
- メディア: 新書
自分の考えに自信がなく、誰かに認められないと不安でしょうがない。
わかります。自分自身もそういうところが多分にあるから。本書はそんな方に読んでいただきたい1冊です。
自分の行動や判断のよりどころを、自分の考えや信念ではなく、周囲や他人の判断にゆだねてしまう。このため、他者の反応や承認に必要以上に気を使ってしまい、自由に振るまえないでいる。仲間の承認を得るために、ありのままの自分を抑えて、仲間の言動に同調した態度をとり続けてしまう。このような行動を著者の山竹さんは「空虚な承認ゲーム』と名付けています。
現代は『空虚な承認ゲーム』に陥る人々が増えていると山竹さんは指摘し、そのような現象が起こっている社会的背景と個人が承認の不安に陥っていくメカニズムを解説し、承認の不安を乗り越えて、ありのままの自分を表現して生きていくための考え方について、現象学の観点から解説しています。
Nellsonが学んでいる認知行動療法の世界では、人間の行動はその人の行動の憲法ともいえる核心念という考えに縛られています。核心念の形成は子供にとって最初の他者である両親との関係性に大きく影響を受けるので、山竹さんの承認不安の形成メカニズムの解説は非常によく理解できました。
山竹さんによると、承認不安は、他者との関係性の中から起こる不安であり、それは両親との関係性にさかのぼると指摘。そして、承認不安が形成されるメカニズムを非常に丁寧に分かりやすく解説しています。
現象学とは、人間の意識の中に「認識」が確立されていく過程を分析する学問です。絶対的な価値観というものは不安定なもので、単に多くの人が共有する価値観にすぎないと考え、その価値観がどの様に形成されたかを考える学問です。
人間同士のコミュニケーションで認識や意見の違いが生じた場合、それぞれの判断のもとになった背景を一緒に共有し振り返えることで、人間に生じやすい思い込みを修正することが可能になり、両者の認識の一致する方向へと志向していくと考えます。
承認不安に陥らないためには「一般他者の視点」から内省すること、つまり、身近な他者だけの反応に左右されず、他の考えをもった人の意見・考えに耳を傾けて、自分の行動を選択することが重要と山竹さんは述べています。
このことは、他人の考えであれ自分の考えであれ、1つの考えに縛られずに自分の行動を選択していくことにつながると思います。そのことが、他人をオープンに受けいれつつ自分も受け入れる、というバランスのよさを生んでいけると思います。
人間関係で悩む人に読んでほしい1冊です。
Nellson's MEMO
空虚な承認ゲーム
自分の考えや感情を過度に抑制し、本当の自分を偽って家族や仲間に同調し、無理やりに承認を維持しようとする。それはただちに「空虚な承認ゲーム」となり、必ず事故不全感がつきまとう。
自分とは無関係に思える人々を蔑むことで、自らの存在価値の底上げを図ろうとする行為。
空虚な承認ゲームが蔓延するのは、社会共通の価値観を基盤とした、「社会の承認」が不確実となり、コミュニケーションを介した「身近な人間の承認」の重要性がましているから。
親和的他者/集団的他者/一般的他者
承認の欲望=自己価値の欲望=生きる意味の追求
私が他者から欲望されること、それは私が欲望されるだけの価値があること、私の存在価値が承認されること
強い承認不安と自己価値の喪失感
自らの自由を犠牲にしてでも社会秩序に従うのは、社会からの承認が自分の存在価値を証明してくれると、心のどこかで信じているからだ。
自由と承認の葛藤
自由が拡大する一方で承認の可能性が低くなり、じわじわ承認不安が満ちてくる。
自己了解と一般他者の視点
自己決定による納得は自由の最も重要な本質
他者への同調・他者による拘束からの解放以前に、自分でどうしたいのか考え、納得し、答えを導きだすことにほかならない。
感情を素直にうけれること。
感情は自己了解(自己への気づき)を導く最良の方法
承認不安によって作られた自己ルールは、それを捨てても他者に見捨てられないという確信がなければ変えることはできない。
自分1人では自己了解が難しい場合、ありのままの自分を受け入れてくれる存在に自己の分析を手伝ってもらえば、自己了解はより一層生じやすくなる
一般他者の視点
この視点によって自らの道徳的価値を認識できたなら、私たちは承認不安や不遇感に耐え、自己価値を信じる事ができる
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シンプルを極める:ドミニック・ローホー [2011年読書記録]
ベストセラーになった
『シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』の著者によるエッセイ集。「シンプル」な生き方への様々な考え方が書かれています。
生活をシンプルにする具体的な方法は『シンプルに生きる』のほうに詳しくのっていますので、そちらを読まれたほうがいいと思います。
生活をシンプルにするということは、禁欲的な生活をすることではありません。自分に必要なもの、必要でないものを選択し、必要でないモノや週刊を手放すということです。
それはとりもなおさず、自分を知ることにつながります。
自分は何が好きなのか、好きではないのか。どんな時心地良いのか、不快なのか。どんな時安らぐのか、不安になるのか。自分を見つめなおして、自分を深く知ることの地道な作業です。
自ら選んでいく生き方。
そこに自由があります。
タグ:simple life 読書記録
生きる意味:上田紀行 [2011年読書記録]
NHK教育テレビで3月末まで放映されていた、『Q〜わたしの思考探求』の司会をつとめていました、東京工業大学大学院准教授で文化人類学者の上田紀行さんの著作です。
本書は、上田さんが求めていることは、私たち1人ひとりが「自分の『生きる意味』の創造者となる」ことです。
これまでの日本社会では、私たちは他者によって作られた欲求(経済的利得の追求・それに基づいた様々な価値観)を追求してきました。他の人が欲しがるモノを自分も欲しがること、他の人が望むような人になること、常に「他者の目、他者の評価」を基準にして生きてきましたし、それがヨシとされた時代でもありました。
しかし経済成長が失われ、私たちが生きる意味としてより所としていた「他者の欲求」は崩壊してしまいました。その上、常に「他者の目・他者の評価」に応えることになれきった私達は、自分の「生きる意味」を見つけ出すことも考え出すこともできなくなっている。ここに潜む大きな問題を、上田さんは「生きる意味の不況」と呼んでいます。
そして、上田さんは生きる意味を見つけ出すキーワードとして「ワクワク感」と「苦悩」をあげています。そして同じ志向や考え、悩みや問題意識、などを共有できる、多様なコミュニティを作りだし、私たちの「生きる意味」のコミュニケーションを取り戻すことで、個人の「内的成長(生きる意味の成長)」を深めて行くことを提言しています。
この本が出版されてから数年後の今、上田さんが指摘し提言したことは、抜き差しならない所まで来ているように感じます。
私たちは誰かが意味を与えてくれることになれきっています。
一方で、私のまわりでは「同じ悩みや考えを持つ人どうしによる、率直なコミュニケーションや対話の場」が少しづつ増えているような気がします。そういう場に参加すると、小さな一歩だけど、みんな歩んでいるんだなぁって思い、少しうれしくなったりします。
Nellson's MEMO
・他の人が欲しがるような人生を、あなたも欲しがりなさいという人生観
・自分が何を欲しがっているのよりも、他の人が何をほしがっているのか
を、自動的に考えてしまう欲求のシステム
・本当の自分を見せたら嫌われる。だから受けいれられやすい自分を
つくり上げようとする。
・自分が自然であることよりも、その場の「意図」や「効率」を常に気に
するように成形され「意図」や「効率」にそぐわないものは排除される
・ある1つの論理を徹底し、合理的に生きるということは、その論理が
間違っている場合には悲劇をもたらす。
・苦悩すべき時に苦悩することが真の癒しにつながる。
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勤めないという生き方:森健 [2011年読書記録]
本書は、自分の人生や生きがいを軸にして、自分の好きなことを「自分の仕事」にして生きる人へのインタビュー集です。
この本に出てくる人々は会社勤めをやめて独立した人ばかり。独立後「職人」「地域」「お店」「農業」「NPO」といった様々な領域での仕事に携わっています。それぞれの人が、なぜ今の道を選ぶにいたったのか。どこに苦労や困難があり、どのように向き合っているのか。またその人にとって仕事とは何か、お金とはなにか。といったことについてインタビューされています。
同じような内容の本としては、西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』や『自分の仕事を考える3日間』シリーズなどがありますが、本書はもう少し現実的というか、自分の周囲にいそうな感じのする人々の独立にまつわる現在進行形のヒストリーが語られています。
自分の働き方を考えたい人にオススメです。
Nellson's MEMO
辞める時点では、次に何をすべきか明瞭に把握できていない。非常に感覚的なものであってりする。ところが、人と交流したり、具体的な一歩を踏み出すなかで、そのもやもやした意識の輪郭がハッキリしてくる。
誰にも共通しているのは「どうしても」がその人の人生に欠かせない要因になっている点だ。やりたいことが決まっているわけでもない。けれども明日いる場所はここではないとわかってしまった。だから動いた。
減速して生きる−ダウンシフターズ−:高坂勝 [2011年読書記録]
自分の好きなことを仕事にし、自分のありかたを軸に生きる人たちがいます。著者の高坂勝さんは「ダウンシフト」というやり方で、その生き方を実現している人です。
「減速生活者(ダウンシフター)」とは次のような人々を指し示す言葉として、アメリカの経済学者ジュリエット・B・ショアによってつくられた言葉です。
過度な消費生活から抜け出し、もっと余暇を持ち、スケジュールのバランスをとり、もっとゆっくりとしたペースで生活し、子供ともっと多くの時間を過ごし、もっと意義のある仕事をし、彼らのもっとも深い価値観にあった日々を過ごすことを選んでいる」
『浪費するアメリカ人』より
高坂さんは大手企業を30歳で退職。安定した会社勤めをやめ、その後、過去を棚卸しするための旅などをへて、2004年に6.6坪の小さなオーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を開店。お店の経営を行うかたわら、田んぼで米を自給する半農半X生活を送っています。
本書では、高坂さんの就職からバーの開店までのエピソードや、生活をリデザインするにあたっての考え方、そして、自分のありかたの守るためには利益の拡大をあえて抑制することも厭わないという、バーの経営スタイルなど、高坂さんの「ダウンシフト」の道のりが書かれています。
平川克美さんは著作『移行的混乱』において、日本は実質20年くらい経済成長していないことを指摘し、「経済成長しないとやっていけない」システムから「経済成長しなくてもやっていける」システムを創ることを考えるべきと提案しています。
そのために私たちができることは、経済成長(より上へ、より多く)オンリーではない、人間としての本当の意味での豊かさを求める、といった生き方を考えはじめることが大切な気がしています。
西村佳哲さんの著作では「仕事」と「自分」の関係の中で「豊かさ」について考えて来ました。高坂さんの著作では、働き方も含めた「生活そのもの」をどのようにデザインし直すか、といった切り口でより現実的で参考になる事例が得られたと感じています。
近々「たまにはTSUKIでも眺めましょ」にも行ってみたいと思います。いろいろ話を聴いてみたいとおもいました。
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キュレーションの時代:佐々木俊尚 [2011年読書記録]
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる
(ちくま新書)
- 作者: 佐々木 俊尚
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/02/09
- メディア: 新書
本書は、情報社会の担い手としてのマスメディアの衰退と、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの台頭という、情報社会の変化を生み出した時代背景の分析をもとに、未来の情報社会のビジョンを示したものです。
そのビジョンを語る上でのキーワードがキュレーションです。
キュレーションとは、「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、多くの人々と共有すること」と定義されています。
情報を選んで、意味づけ、共有することで、情報の受け手に「視座」を提供することとも言えます。
秀逸なのは情報社会のビジョンを導き出すに至った背景の分析です。インターネットの発展によるコミュニケーションの変化とそれに伴うマスメディアの行動、それによってもたらされた私たちの消費行動の変遷などが、多くの事例をもって説明されています。
情報そのものが価値をもつのではなく、情報を選別し意味づける「視座」が価値をもつ時代が未来の情報社会であり、そこでは、「視座」はマスメディアにより画一的に与えられるのではなく、ソーシャルメディアの普及の中、無数の発信者によって提供され、それにより個人の視座も書き換えられていきます。
その背景には、「モノの消費」よりも「人のつながり」を私たちは求めていて、情報の流れそのものも、「情報を得る」という即物的な流れから、情報が流れることで人と人がつながり、「共感や共鳴」を生み出すことが求められている時代になっているということがあると著者は述べています。
話題として、まとはずれかも知れませんが、震災後の情報収集で私が最も活用したのはツイッターでした。マスメディアの情報はフォロワーのツイートかリツイートでの紹介とNHKの報道しかあてにしていませんでした。情報の信頼性を自分が信頼できる第3者の目を使って担保していたのかも知れません。
そう考えると、情報の流れを扱う仕事や言葉(報道・広報・広告・マーケティングなど)は近い将来のうち再定義されていくんだろうなと思います。
Nellson's MEMO
情報のビオトーブ化
・ビオトーブとは
情報をもとめる人が存在している場所
小さな圏域であり・顔がみえて人となりが分かる濃密な関係がある
・課題
ある情報を求める人はどこに存在しているのか?
自分の欲しい情報はどこに行けば得ることができるのか?
記号消費→商品の機能・情報収集+人と人のつながり
・マスメディアの衰退とともに記号消費は衰退し、機能消費とつながり
消費に二分された新しい世界が生まれた。
・社会との関係における最大の関心事は、他者からの承認・社会への接続
・消費という行為の向こう側に、他者の存在を認知し、他者とつながり、
承認してもらうというあり方。
・キーワードは共鳴と共感
キュレーション=視座の提供
・マス消費が消滅し、新たなビオトーブが無数に生まれている情報圏域
においては、情報は人のつながりを介してしか流れない。
・価値観や興味(コンテキスト)を共有する人の間では、互いに共鳴・
共感がうまれ、持続する関係(エンゲージメント)、主客一体となっ
てお互いに情報を交換し合うという関係が生まれる。
・共鳴と共感を生み出すコンテキストの空間には人が介在する必要がある
・視座(価値観・世界観)をもった人につながる事で、情報を得るのと
同時に人(=視座)に繋がることができる
・ソーシャルメディア上では、人の信頼が可視化され、確認できる構造
になっている。情報の真贋を見極めることはできないが、情報を流し
ている人の信頼度はおしはかることができる
セマンティックボーダー(情報をフィルタリングする基準)の書き換え
・コンテンツとコンテキスト/コンテキストを生み出すキュレーターの
視座と視座にチェックインする人々
・キュレーターのコンテキストによって、視座は組み替えられる。
・膨大な情報のノイズの海から、それぞれの小さなビオトーブに適した
情報は、無数のキュレーターによってフィルタリングされる。
その情報にはコンテキストが付与され、そのコンテキストはキュレー
ターによって人それぞれであるがゆえに、「何が有用な情報か」とい
う個人のセマンティックボーダーはゆらぎ、書き換えられれていく。
知がめぐり、人がつながる場のデザイン 働く大人が学び続ける"ラーニングバー”というしくみ:中原 淳 [2011年読書記録]
知がめぐり、人がつながる場のデザイン―働く大人が学び続ける”ラーニングバー”というしくみ
- 作者: 中原 淳
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2011/02/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
本書は著者が主催している「ラーニングバー(Learning bar)」という、組織を超えた「大人のための学びの場」への取り組みについて語られた本です。
「ラーニングバー」とは、大人の学びの機会を、異なる立場の人々が、対話を通じて異なる意見を知ることで、自分 を知り、考える場の提供を目的としたイベントです。そこでは「働く大人」と「組織」と「学習・成長」という3つの領域に関心のある人々が集い、関連する最先端のテーマをもとにプレゼンテーションやディスカッションが行われています。
本書は、その学びの場がなぜ生まれたのか?、学びを場をどの様に創っているのか?、どの様な課題が生まれているのか?、といったことについて語られています。
私は、研修やワークショップなどといった、学びの場を企画・デザインする仕事にたずさわっていますが、企画するにあたって、自分に巻き起こる問いは以下のようなものでした。
- 学びの場をどのように演出すれば、参加者の学びは促進できるのか?
- 異なる意見を知ることから、建設的な対話が生まれ、対話から新しい考えが生まれ出る。そんな環境をどの様に演出するか?
- その場におけるファシリテーションのあり方は?
- 運営スタッフが心がけるベキことは?
本書には、実際のラーニングバーの運営を通じて得られたノウハウや、発生した課題がたくさん書かれており、学びの場を設計する上で、非常に参考になりました。
著者は、ラーニングバーのような形態の学びの場がさまざまな形で開かれ、進め方も仮説検証的に多様なケースが生まれることを望んでいます。
私も本書で得られた学びを参考に、新たな学びの場づくりにチャレンジしていきたいと思いました。
学びの場の演出あり方を知る上で非常に参考になる本です。
Nellson's MEMO
ラーニングバーとは?
知的かつ愉しい(Serious fan)シリアス・ファンな場所
ラーニングバーのプロセス
①聞く②考える③対話する④気づく
ラーニングバーのルール
①「私」を主語にする。
②経験談や主観を歓迎
③人はそれぞれ違っていて当たり前
④対話のなかでは「あえて判断を保留する」
コンセプトとなるキーワード
内省・対話・他者・語り・学習
支度・しつらえ・しかけ ①準備を整えて参加者を待つ(支度)
②参加者がくつろげる空間を演出する(しつらえ)
③すべての人がルールを共有する(しかけ)
用意と卒意/主客一体/一座建立
カリキュラムの設計
モジュール・ブリコラージュ・形成的評価/多様性と知識構築性
内容の設計
①テーマの設定(みんなの問題であるか?)
②講師の選定
③良質な問いかけ(ドライビング・クエスチョン)の設定
空間デザイン
①学習者中心主義
②主催者がみんなで楽しんでやる。やらされ感はすぐに学習者に伝わる。
③形成的評価を忘れない
学習とは
学習とは、すでに学習者がもっている知識と、新しく学習者が獲得した知識が反応し、さらに高次の知識が構築されるプロセスにほかならない。
学習を引き起こすためには、学習者のもつ知識を想定し、そこにどのような問いかけを投げかけ、何を導き出すのかについて、常にセンシティブになる必要があります。
対話と内省
良質な問いかけができなければ、対話はうまれない。対話なきところに、内省はうまれない。
対話とは、それぞれ人が「違うこと」「違った意見を持っていること」をいったんの判断を保留して、鑑賞・吟味しあう行為である。
自分にとっての「アタリマエ」を疑い、その背後にあるものに気がつくこと、それが対話のうみだす本当の効果。
学びを主催・運営する側の心がけ
人に対して「学べ・変われ」というメッセージを伝える人は、メッセージを受け取る人からも、「見られていること」に意識的でなければなりません。他人に「変われ・学べ」と言いながら、主催側がテーマについて学んでいないセミナーやフォーラムは論理矛盾でしょう。
セミナーやフォーラムやワークショップの設計とは、「コラボレーション」なのです。「この講師に話をしてもらうことで、自分たちはどんな問いかけを聴衆に投げかけたいのか」といったことを念頭におき、聴衆の学習経験の総体を講師とともにデザインしなければならない
カリキュラムの準備不足やファシリテーターの力量不足ゆえに、場当たり的に場の構成を見直さざるを得ない状況と経験あるファシリテーターが、あえて意図的に場を非構成的にデザインすることは、混同してはいけない
学習者中心主義
学習者中心主義とは
学習環境をデザインするときに、学習者がそれまでにもっている知識・技能・行動スタイルを最重要視すること。
学習者に十分なレディネスがある場合は凝った工夫は必要はない。学習者をしっかり見つめること。
場の心理的安全の確保
自分の所属している組織から切り離され、1人の大人としてその場にいられる空間を確保すること。
深く内省したり、他の参加者たちと開かれたコミュニケーションをとったりできる空間を確保すること。
参加者は、「自分はこの場でどう振る舞えばいいのか」と考えている。その際、情報源となるのはその場にる人たちの振るまい方です
自由闊達な対話を行いたいのであれば、学習者を過剰な自由に投げ込まないことです。しっかりとしたルールと制約を設定することが、逆に自由な対話・議論を促進する。
これから理解することの全体像をあらかじめ学習者が持っているかどうかは、非常に重要。
人は教えてもらえると思った瞬間、考えないスイッチが入る。
働く大人が勤務後に集中できる時間は30分。